私、自己評価めちゃめちゃ低いです。(^^;)
今まで
沢山のお金と時間を投資してきましたが
やっぱり、自己嫌悪の塊です。
自分が好きになれません(笑)そんな自分と一緒に生きて行くしかありません。
認めます。
分かったのです。
これは、親の育て方や環境や過去の過ちや失敗だけではないと言う事
もう、既にこの世に生まれる前から
持ち合わせて生まれて来たモノがある!と言う事。
誰を恨むとか、時代や環境の問題じゃなく
自分に与えられた性質の種を既に持ち合わせていた事
親が居なかったとか、家が火事になったとか、伝統ある家に生まれたとか出来事だけが
問題なのではなくて
既に持ち合わせている自分がいること。
そこからは、逃れられない。
取り繕って家も無くせない。
だから、どんな要因も自分がマイナスに捉えていたら
全てがマイナスで苦しみの要因になるのです。
与えられた、資質の中でどの様に生きるか?・・・しかないのです。
苦しみを取り除こうとすればするほど苦しいのです。
苦しいのなら、苦しく無い所まで離れるとか
苦しくならない工夫をするしかないのです。
誰かのせいにして怒っていても更に苦しくなるのは、自分です。
苦しかったら、「苦しいよ~!」って
正直に話す場所が必要なのではないでしょうか?
「自分がこんなにも苦しかったなんて知りませんでした」と言う方がいますが
仕事に、家事、育児、親の介護、
自分の事なんて見向きもせずに人に振り回されていたら
自分がどんなに苦しいのかすら分からなくなります。
立場ある方が
社員の前で泣き事を言えず、家族にも頼れず、奥さんとも仲が悪い、それなのに責任の中で生きていたら
自分が何者なのか分からなくなります。
苦しかったら
「苦しいよ~!」って言える場所があってもいいのでは、ないでしょうか?
先日ある方が、「実は、ナイフを買って、マスクに帽子 監視カメラの位置を確認して・・・・・・」と話してくれました。
「もう、後は死ぬだけだった・・・・」と
そこまでは、全て本気だったと思います。
しかし、実行しなかった。そしてそれを話してくれました。
話す → 放す。
「もう、いいじゃないですか~。」 「 はい。」って
こんな自分だからこそ、正直に生きる努力が必要。
こんな自分だからこそ、敢えて工夫が必要。
こんな自分だからこそ、自分の苦しみや性質や逆境に逃げず取り組む覚悟がいる
失敗を隠すと生きにくいから、話せる場所。
息を抜く場所を作る努力が必要なのではないでしょうか?
自分の苦しみを、凶器に替えず、痛みを愛に替える工夫と努力を
一緒にしませんか?