私たち人間は、誰一人として
一人で生きて来た人は、いないですよね^^
誰かが 抱っこしてミルクやお乳を飲ませてくれて
誰かが 服を着せてくれて
保護され
守られ
誰かの無償の愛(手助け)を
色々な形で たくさん受け取らなければ
今現在 生きていないはずです。
それなのに そんな事をすっかり忘れてしまいます。
そんなことは、考えたくない人も居ると思います。
ずっと 親に苦しめられてきた人は
もしかしたら
自分が無償の愛を受け取っていたなんて
考えられない実感がない 想像できない どこにそんなものがあるんだ
こんなに苦しいのに
無償の愛など
どこにもないと思うほど
損得勘定が出て
「こんなことをしたって一銭の得にもならない」
「なぜ 私ばかりが 損するの?」
「割に合わないよな~」なんて頭をよぎります。
「こっちだって やりくり大変なのに 寄付ばっかりやってられない」
「こっちが 欲しいくらいだ」
「無い 出せない 無理」
与える事って難しいですね~
ある事に気が付かないと 与えられませんね
「うわ~っ やった! ラッキ~。 1万円分 得した」って言う時だってあるのに。
「えぇ~ 1万円も 損した。」って かなりショック。
「 あれっ??財布がない!!! 財布を落とした!!」って
そりゃも~ショックで ショックで・・・((´;ω;`)ウッ…
1万円儲かって嬉しいと言う事は
その裏で誰かが損しているかもしれません。
与えられているのですよね。
だとしたら
一万円損したら 誰かを喜ばせた事になるのですが
なかなかそうは思えませんよね。
私もです。人間だから。
「他人は、損してもいいけど 自分は、得したい。」
そんな事を口では言ってないけれど きっと 心の中はそうなります。
私が尊敬している
社長さんが話してくれました。
「昔は、どうやって従業員に暇を与えないで働かせるか?
どうやって、効率良く儲けられるか?
判断の基準は、常に損か? 得か?で物事を見て 人も選んでいた
そもそも
社長の手腕の良し悪しは、どうやって従業員を働かせて
楽して儲けるかだと思って試行錯誤して
ずっとそれが正しい事だと思って居たんだよ
しかし、バブルがはじけて
結局商売を閉じる事になってね~
得にもならない事でも人が喜んでくれる事をすると
最終的に得を積んでいる事になって循環するって
「今なら分かるけどね。」
「自分基準だったよね~昔は」
手続き 段取り 準備 あと片付け
そんな得にもならない水面下にある 仕事はどこにでもあります。
給料の無い 地域の仕事 役員
誰がどのように使っているのか分からない寄付
色々な事で、得にもならない作業も含めて
無償で与えるって難しいですね
誰でも 人に嫌われたくないし
最初の内は、責任を持って楽しくやっている事でも
長くなるにつれて 色々な状況で 出来なくなる時もあるでしょう
「なんで 私ばかりが! やらなきゃいけないんだ!」
「こんなことをして意味があるのか?」
って思うこともあるでしょう。
ついつい犠牲的な感情が出てきますよね
「 やってられるか! こんな事 私ばかりが 」
「俺ばっかりが貧乏くじ引いてられるか!」って
確かに
「無い」なら 出せませんね。
少なくても出せませんね。だって 減るから
無償の愛って 無意識かもしれませんが
あると思わなければ与える事ができませんね。
自分が 無償で与えられた記憶が 分からなくても
想像できなければ
与える事は、難しいのかもしれませんね