私たちは、往々にして勝手な解釈で生きています。
って 言うぅか~ 100%勝手な解釈で生きています!!!。
その勝手な解釈が、積もり積もって仕事に行けなくなったり
勝手な解釈が人間関係や自分を壊していると言っても過言ではないです。
「どうせ 私は役に立たない人間」だとか
「どうせ 私は嫌われている」
「どうせ 私がやっても失敗に終わる」
「どうせ 私が言っても伝わらない」
「どうせ 私なんか忘れられている」
「どうせ 私なんか相手にされていない」と
無意識に思っていませんか?
「結局、誰も助けてくれない」
「結局、出来ない」
「結局、1人ぼっち」
「結局、お金がないとムリ」
【どうせ と 結局】
頭の中で、勝手な解釈をしてストーリーを描いて納得している。
あっ。。。。私かもお~と思った方
心配しないでください。 私もです。(*^_^*)
「無意識」ですから 気が付けば 良いのです。
気が付くと「意識」に変えられます。
そんな時は、講座でおなじみの
「おっと あぶね~ そ~はいかねぇ~」です。(*^_^*)
世の中には、無意識で
「どうせ なんとかなる」
「どうせ ほとぼりが冷めたら 大丈夫」と思っている人も居ます。
「結局 なんとかなるし なんとかなってきた」と
この差は、何でしょうか?
それは、生まれた時にすでに持ち合わせたモノかもしれませんし
育った環境のせいかもしれませんし 今居る環境のせいかもしれませんが
無意識に
「なんとかしなきゃ~ 生きて行けない」
「なんとかしなきゃ~また 怒られる 」
「なんとかしなきゃ~ 捨てられる 殺される 死んでしまう」と思ったのかもしれません。
「お前なんか 家の子じゃあ ありません 出て行きなさい」と大人は、その場の感情で言ったとしても
幼い子供が、家を出て生きていけるわけがないから、それが本気ではない事が前提ですが
幼い子に冗談とか通じません 子供の目線からは、脅威です。
私も幼い頃
お風呂場でふざけていたのか、お風呂に入る前に悪い事をしてしまったのかは覚えていませんが
雪が降る寒い夜に 裸で外に出されました。
泣いて、「ごめんなさい もうしないから ごめんなさい 」と言いながら
玄関の戸を叩いた記憶があります。
玄関の戸が壊れるからと更に怒られましたが、もの凄い恐怖でした。
何をして怒られたのかはほとんど覚えていませんが、雪が降る夜の玄関の戸と自分が裸だったのと
泣いて、「ごめんなさい もうしないから ごめんなさい 」と言っていたのは鮮明に覚えています。
幼い頃は、親に見放されたら 死ぬしかないと思うのは当然です。
だから、勝手な解釈を作ってその場をやり過ごすのかもしれません。
「きっと本当のお父さんとお母さんが迎えに来てくれる」
そんな、子供の頃に作った、または持ち合わせたものの見方や考え方が
勝手な解釈となり「断ったら 怒られる」「出来ないと言ったら ここに居られなくなる」
「自分の意見を言ったら ダメ」と言う無意識の判断になり。
自分がどうしたいのか?と考えるのではなく
自分をどうしたら守れるのかと周りの状況を伺い 周りに答えを求めて ぐるぐる考えて疲れる
勝手な解釈で 身を引く
勝手な解釈で 引き受ける
それもやりたくないのにムリして
勝手な解釈で自分の首を自分が絞めるような事になってしまうのかもしれません。
勝手な解釈で「どうせ 大丈夫」と思える人も居るのに
自分が自分を苦しめるなんて嫌ですよね
「自分を苦しめなければここに存在していてはいけない」と言う思い込みもあります
機能不全は家族のもとに生まれてしまった人も居ます。
子供は、選べないのです。
だからこそ、その「勝手な解釈、思い込み」から逃れたくないですか?
子供の頃は、そうしなければ生きて行けなかったのかもしれません
子供の頃は、そーだったのかもしれません。
しかし、大人になった私たちは自由です。
解釈も自由です。
だから、気づいたら気分転換です。
何度も 気分転換です。
自分を責める必要はありません。
人を恨む必要もありません。
無意識に感じる事は、自分がやろうとしているのでは無いので
ある意味仕方の無いことなのです。
気づいて気分転換 深呼吸 「勝手な判断 勝手な解釈 」をしてしまう自分を なでなで
「そっか~ 分かるよぉ~ そ~考えてしまうんだね~ うん。うん。」
なでなで
「でもさぁ~ どうせ なんとかなる! って考えても良いよね~ 考えは自由なんだから」
「今すぐ じゃなくても 結局は、なんとかなる。って考えてもいいよね~」と
自分と会話してもいいですよね~
だって
解釈は自由なんだから