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【妬み】

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【妬み】

「人を羨み
自分の欲を満たして行くほど
心が擦り切れていった。」

最近出会った方が
こんな事を言ってました。

貧乏な幼少期に
友達のゲームを羨みカードを羨み
金さえあればと

金に執着して行った。

成功してやる!金待ちになるんだ!と

お金のためなら
人を騙しても蹴落としても
なんとも思わなかった。

金があるのか、ないのか?それだけが
全ての価値だと思っていたから

貧乏な自分に
凄い劣等感を持っていたから

自分に無いものを
1つ1つ揃えて行ったと言います。

金、車、家、会社、女

とにかく人よりもいいものを

それが全てだと思っていたと

しかし

欲を満たすほど
心が擦り切れて行ったと

人を蹴落として
新車を買っても

ほんの2、3年で新しいモデルの新車が発売される

優越感は、ほんの束の間で

砂をつかむ様にその価値が
二束三文に変わりすたれていく

金を出せば
いい顔をする人も
金がなくなれば消えていく

欲を満たせば満たすほど
更に虚しくなったと言います。

その空虚な心を満たす為に
薬に依存して行った。

薬が空虚な自分を慰めてくれた。
頑張って来た自分が
結局は、孤独になって行っても
薬だけはいつも慰めてくれると思ったけど
更に孤独に落ちていった。と

【妬み】

私の家は、私が小学校に入る頃に
父親が起業して

借金してやっと小さな工場を建てて
少しづつ、機械を増やし
工場を広げて

少しづつ、少しづつやって来ました。

時は、ちょうどバブルの頃で
お客様と繋がるために
付き合いも大切だし
遊びも大切

母親は、苦労したと思います。

遊ぶとか、趣味とか、お出掛けなんて無縁でした。

母親の実家は、食事が終わった皿は、舐めるのが礼儀だったくらい

贅沢は、敵だったから
父親への批判も含めて

反動するかの様に
厳しい節約の子育てでした。

誕生日もクリスマスもプレゼントなど無く

洋服やかばん、帽子まで手作り

家は、お金が無いんだと思ってました。

隣の家には、サンタさんが来るのに
なぜ家は、来てくれないのか?

おもちゃも無い、お雛様も無い。

隣の家は、いいなぁ〜
友達家は、いいなぁ〜〜って

妬み、羨ましさ、嫉妬の気持ちをたくさん持っていました。

いいなぁ〜〜!いいなぁ〜〜って。

結婚して
商売が軌道に乗っていた嫁ぎ先の姑は、

高級品をバンバン買うと言うイメージで
かっこよかったです。

しかし、まだ腐ってもいないおかずを捨てたりと
実家には、ない感覚にびっくりしたのを機に
贅沢な感覚に反感を持つ様になりました。

どんどん新しい物を買う
姑を憎んで行きました。

あっ!また
何か買った!
あっ!また新しい!!

姑が羨ましくて
かっこよく思っていながら

妬みから、憎んで嫉妬して
わざとボロい服を着るのが
私のかっこよさになりました。

子供の学校の用事も
エプロンや作業着で行くような

それがかっこよさだと
反発していました。

けれど、ある時
それが
私の嫉妬だと知った。

姑を羨んで
結局は、そっくりな気質を持っていた自分を知りました。

そんな私のあるがままを
これでいいと思えるようになろうと思いました。

私に与えられていないモノを欲しがる必要が無く

自分に与えらたモノをさげすむこと無く

それが
いいとか
悪いとかの基準を決めず
あるがまま、そのままで堂々と与えられている事を
大切にしたい。

私の付き合いの中には
デビ夫人みたいな人ばっかりの集まりもあるし

または、家、家族、を失くし
子供とも離れ生活保護で
暮らしている人もいます。

私の行く場所によって
自分に、家族が居て、車に乗ってスマホを使って居る事が
悪い事に感じたり

はたまた、

自分の服装を粗末粗末に感じる時もあるのですが

どこにいても
自分をよしとできない自分からは、脱皮です。

どこにいても
私は
私でちょうどいい
それでいい

持っている物ではなく
魂の価値

質素な生活の中で輝いている人達がいる

豪華な外観の中にも謙虚さに溢れている人達もいる

上下など無く
与えられた全てに大切な価値がある